9. 詭弁

ここでは、詭弁とその対処法について例を挙げてお話しします。詭弁というの は議論をわざと間違った方向に向けようとする意見のことです。そんな事をし ても何の得にもなりはしないというのに、残念ながら相手を言い負かす事を目 的にして議論の場にやってくる人もいます。あるいは、普段は真面目に議論し ている人でもついカッとなって詭弁を弄してしまうかもしれません。

幸い、議論というのはそんなにヤワじゃありません。今まで述べた議論の方法 をそのまま適用すれば自ら解決します。どう対処していけばよいかを見ていき ましょう。

9.1. 詭弁への対応

詭弁に限らず、すべての発言には次の3つの対応しかありません。

どんなルール違反の発言であってもこの原則は変わりません。詭弁だからといっ て怒り出したり注意したりするのでは、こちらまでルール違反になってしまい ます。詭弁に対して「それは詭弁だ」と決めつける意見もよくありません。な ぜなら詭弁ではないかもしれないからです。相手の意見をよく理解もせず一方 的に決めつけるのは良くない事です。

では、あなたが相手の意見を詭弁だと感じた時、どうすればいいのでしょうか? それをいったん正当な意見として受け入れ、その論理の穴を探すのです。詭弁 というのは間違った意見なわけですから、どこかに矛盾している事柄や間違っ ている事柄があります。しかし一般常識や思い込みを巧みに利用してそういっ た間違った事柄を覆い隠してしまっているのです。だから、常識や思い込みを 捨てて相手の意見を見直してみましょう。そして何か変だと思った個所を質問 しましょう。これが詭弁に対する正当な対処法です。

また、本当は詭弁というのは相手がわざと間違った方向に議論を進めようとす る事を言います。しかし、時には悪意なく単なる思い込みで同じような論理を 使ってしまう事もあります。つまり、その意見が詭弁かどうかというのは言っ た本人の主観の問題であり、他人にはその意見が詭弁であるかどうかは断定で きないのです。だから詭弁を非難しないで下さい。間違った意見には「間違っ ている」とだけ言えばいいのです。

忘れられがちなのが「何もしない」つまり「無視する」という選択肢です。以 前述べたように、議論には参加しない自由もあるのです。議論の参加者が減る のは残念な事ですが、興味のない議論に参加しても得るものはありません。相 手の意見を聞きたくなかったら聞かなければいいのです。相手の意見を聞かず に自分だけ発言するのは問題ですが、相手の意見を聞かないで自分も何も言わ ないのなら問題にはなりません。「議論から抜ける」という最後の選択肢を常 に手の内に持っておいて下さい。

では、詭弁の例と対処法を具体的に見ていきましょう。

9.2. 数を問題にする

まだ「人間はアダムとイブから産まれたのであって、サルから進化したのでは ない」なんて言っているのはあなただけですよ。

そう言っているのが私だけだというのは認めます。しかしそれがどうだという のですか?意見が正しいかどうかとは何の関係もありません。

議論に限らず「多数派だから正しい」というのは間違いです。これこそ数の暴 力です。もちろん同様に「少数派だから正しい」というのも間違いです。 意見が正しいかどうかを判断するのはただ一つ、論理展開が正しくて納得でき る理由があるかどうかだけで行います。

「人がこう言っているから正しい」という態度はよくありません。「人が正し い事を言っているから正しい」のです。重要なのは内容であって、それを誰が 言ったかは関係ないのです。

9.3. 言葉の定義の問題

「議論」が「相手の意見を聞くこと」だなんてお前の勝手な決めつけだ。議論 というのはお前が言うような生易しいものじゃない。勝つか負けるかの言葉の 戦いなんだよ。

わかりました。それではこれ以降、私は「議論」という言葉を「勝つか負ける かの言葉の争い」という意味で使います。そして、私が今まで「議論」と呼ん でいたものはこれから「アンパン」と呼ぶことにします。

ところで、私は議論のしかたには興味がありません。それよりアンパンのしか たを話し合いませんか?

議論で言葉の定義の問題を始める人はしばしば見受けられます。もちろん言葉 の定義はその意見を理解するのに重要です。しかし言葉というのは概念につけ た便宜的な名前に過ぎません。だからある概念に対してどの名前を当てはめる かというのは重要ではないのです。上の例では、「相手の意見を聞くこと」と 「勝つか負けるかの言葉の戦い」という二つの概念のどちらに「議論」という 名前を付けるかで争っています。しかしこれは実のところどっちでもいいので す。これを私は「言葉の取り合い」と呼んでいます。これは意味のない不毛な 議論です。

ある言葉の意味が不明確な時は、誰しも自分の概念に格好良い言葉を当てはめ たくなるものです。それは大いに結構なことですが、それで対立するのでは本 質を見失ってしまいます。大切なのは中身であり、名前ではないのです。 言葉の取り合いをする人がいたら、その言葉はあげてしまいましょう。

9.4. 辞書による言葉の定義

あなたは「自由」という言葉を「自分の意思で行動すること」だと言っていま す。しかし辞書には(3)として「わがまま。気まま」という意味があります。 つまり、自由というのは単なるわがままでもあるのです。あなたは「自由」と いう言葉を間違って使っています。

私は事前に「私が『自由』という言葉を使ったとき、それは『自分の意思で行 動すること』という意味である」と言いました。それはご理解いただけている ようなので喜ばしく思います。これは私の「定義」ですので、私の発言の中で はこれが正しいものとして扱います。それが気に入らないのであれば、「アン パン」とでも「カレーパン」とでも勝手に置換していただいてかまいません。

辞書による言葉の定義を絶対視する人を見かけますが、言葉の定義というのは 有限の言葉で説明できるほど簡単なものではありません。だから、辞書に載っ ている定義が絶対というわけではありません。言葉の使い方を辞書に照らし合 わせて「間違っている」と言うのは、辞書に書いてある言葉の使い方以外はし てはいけないという主張です。そんなことはありません。

言葉を定義する時に辞書がよく引用されるのは、この定義が絶対だからではあ りません。言葉の定義文をいちいち自分で考えるのは面倒だから、既に誰かが 書いたものがあったらそれを使ってしまえ、というだけです。そしてもし自分 の表現したい概念が辞書に書いてある事とずれていたら、「辞書に書いてある こととは少しずれていますが、私はこの言葉をこんな風に使います」と自分で 書いた定義文を提示すればいいのです。

概念というのはあいまいなもので、言葉で完全に記述できるものではありませ ん。だから、概念を正確に記述する事を相手に求めてはいけません。そして 「言葉の定義」とは、そのあいまいなものを指す名前を勝手につけて不完全な 言葉で説明することです。あなたはその不完全な説明を読み、相手の持ってい るあいまいなものが何であるかを推測しなくてはなりません。それこそが相手 の意見を理解するということです。

このことから、言葉の定義が正確であるかどうかというのは問題ではないこと がわかるでしょう。大事なのは相手の持っている概念を推測することであって、 正しい言葉をあてはめることではありません。概念は無限にあるのに対して言 葉は有限個しかないのですから、概念を正しく言葉に置き換えるのは不可能な のです。

まとめます。言葉の正しい使い方なんてどこにもないのですから、言葉の使い 方が正しくないなどとは言ってはいけません。ただ、同じ言葉が双方で違う概 念を表しているより、同じ概念を表している方が議論はしやすいのも事実です。 相手は「自分の意思で行動すること」という概念に「自由」よりうまい言葉を 思いつかないでいるだけなのですから、もっとぴったりの言葉があったら提案 してあげて下さい。

9.5. 比喩

比喩というのは参考書であって、教科書ではありません。

すみません、あなたの言っている言葉の意味がよくわかりません。なぜ比喩と いうのは参考書なのですか?そして参考書が教科書ではないのは当たり前です が、それで何が言いたいのですか?

比喩だけの意見はよくありません。なぜなら、比喩というのはあくまで説明の 理解を助けるものであって、説明そのものではないからです。言いたい事をちゃ んと説明してから比喩を使いましょう。でないと理解の妨げになりますし、間 違って解釈してしまう事もあります。

この比喩は「比喩というのは説明を助けるものであって、説明そのものではな い」と書けば意味が出てくるものです。この2文を見れば、「説明を助けるも の」が「参考書」、「説明そのもの」が「教科書」にあたることはわかるでしょ う。そして「参考書だけではなく、教科書もなくてはならない」という意見も 伝わるでしょう。しかし、説明文がなくて比喩だけがあったら、上に挙げたよ うな疑問が出てきてもおかしくありません。

比喩はよく詭弁のために使われます。これまで見てきたように、比喩それ自体 は何も言っていませんし、理由も正当性もありません。意味も理由も正当性も ないから、質問も反論もぶつけることができないのです。

たまに議論の場で「その比喩は適切ではない」という発言を見かけます。しか し、比喩が適切であるかどうかは本来どうでもいい事です。比喩というのは単 に説明をわかりやすくするためのおまけでしかないのですから。同様に「私は そんな意味でその比喩を使ったのではない」といった発言も、意見をきちんと 説明していないから起きる事です。比喩を使う時には、その比喩がなくても意 味が伝わるように書きましょう。

ただし、比喩と慣用句は違います。比喩とは違って慣用句にはそれ自体に意味 があります。もし「それはのれんに腕押しだ」と言われたら、「のれんとはこ こでいう何にあたるものですか?」とか「結局何が言いたいのですか?」と質 問せず、ちゃんと辞書を引きましょう。

9.6. 反語

じゃあ、あなたは自分の目的達成のためには他の人に迷惑をかけることがあっ てもいいというのですか?

そうです。

反語というのは自分の主張と反対の内容を疑問文で提示することです。上の例 では「自分の目的達成のために人に迷惑をかける事があってはならない」とい う主張をしたいがために、わざわざこのような手の込んだ事をしています。な ぜストレートに自分の主張をしないのでしょうか。それは、反語が疑問文と区 別がつかなくてまぎらわしいからです。だから、相手を困らせるのには都合が いいのです。

意見が反語であると読み手の側が受け取ってしまうと、なかなかそれに対して イエスと言えなくなってしまいます。知らず知らずのうちに「いや、そうでは ない」という一文を追加して読んでしまうからです。「いや、そうではないん だけど例外もあって……」というように、どうしても反論のトーンが下がって しまいます。そしてそれが相手の狙い目なのです。

もしこの意見が「自分の目的達成のために人に迷惑をかける事があってはなら ない」と書いてあれば、それに対して「なぜそう言えるんですか?」と質問を する事ができます。しかし反語の形で書いてあればそれに質問する事はできま せん。なぜならそう言えるともそう言えないとも言っていないからです。相手 は暗に「そうではない」と言っているにもかかわらず、それに対して疑問をさ しはさむことができないのです。その結果、自分は納得できていないのに全員 が納得したとして扱われてしまいます。

これに対処するには、あえて「イエス」と言ってみることです。そうすれば相 手は「いや違う。この答えはノーだ」と明言するか、あるいは「なぜ答えがイ エスなのか?」と相手から質問してくるしかなくなります。ここでやっと「自 分の目的達成のためには他人に迷惑をかけることがあってもいいか?」という 議論を始めることができるのです。

自分の意見を反語の形で書く時は、書いた本人はそれを疑問の余地なく正しい と思っている事がほとんどです。反語に対してイエスの答えが返ってくるとは 想像すらしていないでしょう。それこそが「思い込み」です。その結論として 納得できない結論が出てくるのなら、思い込みが本当に正しいのかを疑っ てみる必要があります。

まとめましょう。反語は常識的に正しいと思われている事柄を無理やり認めさ せるための手段です。普通の回答として書かれていれば、それに納得できない 人は「その常識は本当に正しいのか?」と質問をするだけで済みます。しかし 反語として書かれていると、それに納得できない人は「その常識は間違ってい る!」と言わないとその真偽を議論をすることができません。前者に対して後 者は言いにくい発言です。だから「無理やり」認めさせる発言なわけです。

ただし、それが普通の疑問文なのか反語なのかは外見上では区別できません。 結局のところ、文章を反語だと勝手に思ってしまうのは受け手の側の問題なの です。だから相手に「それは反語だからやめろ」と言ってはいけません。「こ れは反語じゃないよ」と言われるのがオチです。すべての疑問形の文を反語だ ととらず疑問だととればいいのです。

また、「○○だろうか?いやそうではない」と続きの文まできちんと書いてい る意見はここでいう反語ではありません。自分の主張をあいまいにせず、「そ うではない」と主張しているからです。「○○だろうか?」と質問文を書くこ とが良くないのではなく、その後に自分の主張を書かないことが良くないので す。

勇気を持って「その常識は間違っている!」と言いましょう。たとえ非常識な 人と言われようとも、納得できる結論を求めるべきです。もし本当に常識の方 が正しかったとしても、その時は「やっぱり常識は正しかったようですね」で 終わればいいのです。

9.7. 一般論

ニュートン力学は間違っています。質量は保存されない事も、光速の壁は破る ことはできない事も既に実験で観測されています。だから今ではアインシュタ インの相対性理論がそれに取って代わっているのです。 [1]

ニュートン力学は間違ってはいません。現実世界の近似値であるというだけで す。極端に重かったり速かったりしなければ、アインシュタインの相対性理論 による結果はニュートン力学による結果とほぼ同じです。これはニュートン力 学の否定ではなく、逆にそれが正しいことの証明です。アインシュタインは 「ニュートン力学が間違っている」事を発見したのではなく、「ニュートン力 学を適用するにあたっての前提条件」を発見したのです。

現実世界というのは非常に複雑です。それを言葉で言い表すことなど到底でき ません。だから前提条件を明らかにしてその狭い前提の中だけでものを言うこ とにします。現実世界の無限の多様性を有限の言葉で言い表す事はできっこな いのです。

ただし、無限の多様性のほとんどを言い表すことはできます。これが「一般論」 です。一般論とは「特殊な場合を除く」という前提条件です。そして肝心の 「特殊な場合とは何か」は明言していません。それが何かがわからないから明 言できないのです。

だから、ニュートン力学とは矛盾する結果が観測されたからといって、それは ニュートン力学が否定されたわけではありません。ニュートン力学で未解決だっ た「特殊な場合とは何か」がわかった、というだけです。アインシュタインは ニュートン力学を否定したわけではなく、逆にニュートン力学がより完璧に近 い理論になる手助けをしたのです。

「一般論」は真実そのものではありません。しかし間違っているわけでもあり ません。不完全なだけなのです。一般論と違う結論を提示することは一般論を 否定するわけではありません。一般論の適用可能範囲を狭めるだけです。そし てそれはもとの一般論をより完全なものに近づけるための仕事なのです。

このように、一般論はそれ自体に矛盾がない限り否定することはできません。 適用範囲がだんだん狭まっていくだけです。そしてそれが使いものにならない くらいまで狭まってしまった時、人はそれを「机上の空論」と呼びます。机上 の空論は間違っているわけではありません。無意味なだけです。

9.8. まとめ

「結論をはっきりと言わない」というのは詭弁の手口の一つです。発言の裏に 本当に言いたい事があるにもかかわらず、それをストレートに言わないで相手 に言わせようとします。そして言った相手を攻撃するのです。 こうした手口に対処するには、相手に結論をストレートに言ってもらいましょ う。相手の言いたい事を勝手に推測せず、「それで何が言いたいのですか?」 と逆に質問しましょう。これは正しくは詭弁に乗らないための方法ではなく、 議論がおかしな方向に行かないための方法です。それぞれが言いたい事をはっ きり言い、そして相手の意図を勝手に推測しないようにしましょう。

詭弁のもう一つの手口は「厳密性を求める」というものです。そもそも真実は 厳密に言葉で表現できるものではないのに、「厳密に表現されていないからそ れは真実ではない」と主張するものです。これに対しては「その通り。これは 真実そのものではない。より真実に近いというだけだ」と言いましょう。真実 そのものでなければ意味がないというわけではありませんし、真実というのは これだとはっきり言えるようなものでもありません。

Notes

[1]

こういう事を言う人のほとんどは、今の最先端理論は相対性理論だと思ってい ます。これは勉強不足です。今の物理学者にとって相対性理論は百年も昔の 古い理論です。今の物理学の最先端理論は量子色力学や超対称性理論などであっ て、相対性理論もニュートン力学と同レベルだと思っています。