コラム: なぜ書くのか


このコラムの一番最初に書こうと思っていたことを今になってやっと書く。自 分はどうしてこんなサイトを作ったのだろうかということである。今までなぜ 書かなかったかというと、自分でもどう書いていいかよくわからなかったから である。良い区切りなのでそろそろ書くことにした。


そもそもの始まりはインターネットサイトではなくイントラネットサイトだっ た。HTMLを使ったのは単に見やすいからであり、「覚え書き」という言葉が一 番ぴったりくる形態だった。別に公開する意図はさらさらなかった。もう7,8 年近く前の話である。

ただ、「内部で使用する」とはいっても文書類は外部から見えるサーバに置い た。これは単にどこのPCからでもアクセスできるようにという利便性の面から であり、もう一つ言えば昔はセキュリティについてあまり考えなかったからだ。 インターネットに接続しているのは大学と研究機関くらいしかなく、今のよう に悪意のあるアクセスがあったらすぐに身元がバレてしまうような小さなコミュ ニティでしかなかったからだ。

しばらくは何事もなく、普通に便利に使う日々が続いた。しかしそのうち変化 が起きた。勝手に外部からのアクセスが増え始めたのである。もちろん外部か らのアクセスが増えて何ら困ることはないのだが、誰がどうやってここの文書 のありかを知ったのだろうと不思議に思った。

その理由はサーバログを見てわかった。犯人は検索エンジンだった。ちょうど AltaVistaが検索サービスを開始し、実験的意味合いを脱して実用的に使われ 始めた頃だった。これを見て、WWWというものとそこでの検索エンジンという ものの意味の大きさに気づいた。

それまで、WWWのキーは文章と画像が表示できるところだと思っていた。きれ いなページが表示されることこそがWWWのキーポイントだと思っていた。しか しもっと重要な点があった。WWWのキーは検索エンジンである。そしてその次 がリンクだ。それに比べればページの見栄えはどうでもいい問題である。


自分のサイトへのアクセスを増やそうと思ったらどうすべきだろうか。 トップページにきれいな画像を張ってかっこいいページに仕立てるのはあまり 意味がない。なぜなら、普通の人はいきなりトップページを訪れたりはせず、 たまたま何らかのキーワードが検索エンジンに引っかかった結果やってくるか らだ。そういう人はトップページからではなくどこかのコンテンツの一文章に 直接やってくる。そしてそこは本当に探している内容とは関係がないことが多 い。

アクセスを増やそうと思ったらそういう人を引っかける必要がある。今探して いる内容とは直接関係はないけれど、目を通したら何となく読みたくなってし まうページがいい。そしてそういう人をトップページへと誘導する。そうすれ ば今度はそこからたどって他のページも見てもらえるようになる。こうしてま た一つアクセスが増えるというわけだ。

「トップページには意味がない」というのはこういうことである。普通の人は トップページからではなくどこか一部のコンテンツにまずやってきて、そのコ ンテンツの良し悪しで読み続けるかどうかを決める。トップページにまでやっ てきた時は既に読む気満々なのだ。だからトップページの役割は飾ることでは なく、読者に次のドキュメントを提示することだ。トップページはお客が入っ てくる玄関ではなく、部屋と部屋をつなぐ役割をする廊下である。玄関ならば 派手に飾ってお客を迎える必要があるが、廊下では装飾はかえって邪魔になる。

というわけで今のようなスタイルに落ち着いた。ディレクトリ型にし、トップ ページには各文書へのリンクしか置かない。それぞれのページには必ず上階層 へ移るためのリンクを置く。トップページにアクセスカウンタを置かないのも ポリシーである。トップページのアクセスカウンタに意味があるのはすべての お客がトップページからやってくる場合であるが、WWWはそうではないからだ。 もっともこれはサーバログを見られる立場にあるという特別事情もあるが。

「日記を書かない」というのもポリシーである。書く内容がある日とない日が どうしても出てきてしまうからだ。「日記」としてしまうと毎日強制的に書か なくてはならないことになってしまう。自分でも意味がないと思えるような事 は書かない方がマシだ。私は毎日書く内容が湧き出るほどクリエイティブでは ないし、それをわざわざ自分に強制するほど努力家でもない。

日記を書かないもう一つの理由は、情報を時系列で並べていることである。実 際に検索エンジンで探した時によく日記はひっかかるが、結構見づらいものが 多い。検索でひっかかった事柄と関係のない事が前後にずらずら並ぶし、間を おいて訂正記事があったりする。もちろんそこは日記サイトなのだからそれで いい。ただここは検索エンジンからやってくる人のためのサイトにしたいので、 突然どこかのページに飛んできた人が困らないようにしたい。そのためには日 記であってはいけないというわけだ。

1枚のページは一つの情報単位である。一つの情報がそのページで完結してい なくてはならず、他の情報は混じってはいけない。そして関連した情報をリン クで示す。書いてある事に対して追記や修正は随時行う。そうすれば必要な人 が勝手に検索エンジンを使ってやってきて、必要なところだけを勝手に持って いってくれる。と、こういうポリシーである。


しばらくは技術的な文書がメインだったが、そのうち日記を書きたくなった。 いろいろと文書を書くことで、「文章を書く」ということの意義に気がついた からである。自分が良く知っている事柄について書くのではなく、自分が知ら ない事柄について書くことが必要だ。書くことによって考えがまとまるし、う まく書けない部分はきちんと調べる。「書く」という行為は人に知らせるとい う効果もあるが、自分自身がその問題と答えを明確にするという効果もある。 人に知らせてもあまり自分の得にはならないが、答えが明確になるのは確実に 得をする。

つまり、ふと思ったいろんな疑問をそのまま忘れてしまわずに書いておこうと いうわけである。そしてそこに対して自分なりに答えを出そうとしてみる。そ れを漠然と考えるだけではなく実際に書いてみることで明確にする。これが 書くことの意義である。それで始めたのがここのコラムである。このコラムは 別に自分の考えを世間に広めたいわけではなく、単に自分で考えてみたらこう なったというメモである。

たまに「何を主張したいのかわからない」というご意見をいただくが、「何か を主張したいわけではない」というのが答えである。「賛成か反対か」ではな く「正しいか間違っているか」の問題だ。価値判断はできるだけ書かないよう にしている。価値判断というものは個人がそれぞれ自分でするものであり、人 に強制するものではない。人に見せるために書いているのではないのだからな おさらだ。


ここのサイトの考え方をまとめると、「自分の考えを明確にするために文書を 書く」ということと「そうすれば検索エンジンが勝手にそれを皆で利用可能な ようにしてくれる」というものである。すべては自分のためにやっていること である。

ここの文書はフリーだというのもここが理由だ。文書を書いてサーバに置いた 時点で既に目的は達しているからである。文書を置くこと自体が目的なのだか ら、置いた後でそれを誰がどうしようと自分の害になることはない。だからど のように利用されようとかまわない。その人がここの文書で利益を得ればそれ は喜ばしいことだし、利益を得られなくても知ったことではない。

害になるどころではなく、公開するといいことがある。親切な人が間違いをい ろいろ教えてくれるのだ。あるいは自分でも明確になっていないもやもやした 所を指摘してくれる。これによって自分の考えがより良いものになる。いろい ろな意見をくれる人々には非常に感謝している。


WWWがここまで便利になったのは検索エンジンのおかげである。検索エンジン がなければ、一部の有名サイトと知り合いのサイトくらいしか見ようとは思わ ないだろう。宝の山がたくさん埋もれていてもそれを見つける手段がないから である。リンク機能があるにはあるが、それだって作者が知っているサイトに しかリンクできない。だから埋もれたサイトは埋もれたままになってしまう。 それを発掘することができるのが検索エンジンである。

検索エンジンのおかげでサイトを宣伝する必要がなくなった。内容さえ良けれ ば勝手に検索エンジンが拾っていってくれる。だから作者は公開するために余 分な手間をかける必要がない。これは便利だ。コンテンツを豊富にするために 非常に役に立っている。

これはまた労力を適切な人に分担させる役にも立っている。検索エンジンがな ければ宣伝はサイト作成者の労力であるが、それに対して何ら見返りがない。 するとWWWは見てもらうことで利益を得ようとする人達だけのものになってし まう。サイト作成者は閲覧者から利益を挙げようとあれやこれや考える。金銭 的利益だけではなく、アクセスカウンターの数字を上げようと様々な条件を課 したり、転載やリンクを制限したりする。その根底にあるのはコンテンツを見 せることに対して何かを得ようというギブアンドテイクの関係である。

WWWというのは他のメディアと違い、情報の流れが見せる側から見る側への一 方通行ではない。「見た」という事実そのものが情報となり、見る側がこの情 報の供給者となる。見たこと、そして「ここは面白い」とリンクを張ることが 情報を供給することになり、リンクを張ってもらうことが見せる側の利益にな る。というのはGoogleのページランクが上がることで露出が増えるからである。 だから「見せてやる」という態度は傲慢である。見せることそのものによって 自分が受益者になっているという事実を忘れている。

コンテンツを見せる事に対する労力が少なくなればギブアンドテイクの関係は 崩れる。「見せてやる」ではなく「勝手に見ろ」になり、見ることに対して恩 義を感じる必要もなくなる。サイト作成者は書くという労力を費すことによっ て考えが明確になるという利益を得、閲覧者は検索サイトで探す労力をかける ことで情報を得る。これが双方とも努力した分だけ報われる理想的な関係だ。 そしてこのような関係を作るためには検索エンジンが重要な役割を果たす。検 索エンジンのためのサイト作りをすることは大いに意義のあることだ。


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